自由人ってなに??
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  私が考える自由人とはどういうものかと考えると、それは何事にも束縛されない、自由気ままに生きられる人のことだと思います。現代社会で、そのような生き方は可能なのかと聞かれると、答えは否となるでしょう。奥深い山中や、無人島で、誰との接点も無く、一人で生きていれば、可能かもしれませんが、そのような状況の自由人で、意味があるのでしょうか。私は無いと考えています。私にとって意味がある自由人とは、今、生きている社会の中で、自由人を目指すことです。

  しかし、一方で否と答え、一方でそれを目指すということは、自己矛盾も甚だしいと感じられるかもしれません。そこで、私が現代社会で目指す自由人について、以下に説明させて頂きます。  まず、どうして現代社会で自由人になれないのか、それは、社会というのは二人以上の人で構成されており、一人の自由は、他方の自由を束縛することになるからです。自由というのは、嫌なことをしなくても良いわけです。好きなことをすれば良い訳です。食べる、寝る、遊ぶ、を好きなときにやるということが自由です。それこそ、気に入らないヤツがいれば、殺しても良い訳です。自由なんですから。しかし、一人に対して、このような完全な自由を認めることは、他の人の自由を制限することになってしまいます。他人の犠牲の上に、自分の特権を築くという行為は、人として、最も恥ずべき行為です。ですから、現代社会で、完全なる自由を目標とする自由人には、成れない訳です。

  そこで私は、完全なる自由人を目標にするのではなく、経済的、精神的自由人を目指すこととしました。 経済的自由人は、生きて行く上で、最低限必要な経費を確保することです。例えば、3億円の現金があれば、贅沢さえしなければ、一生生活できると思います。かねの為に嫌な仕事をせずに、本当にしたいことができると思います。そのためには、まずそのおかねを貯めることです。どのように貯めるかは、人それぞれです。しかし、その貯めようとする額には、注意して欲しいのです。人は闘争本能を持っているために、より上へ、上へと目指します。これは、人の性です。しかし、本能に従って、欲を際限なく広げては、最後には、その欲によって自分が押し潰されることになります。ですから、覚えておいて頂きたいのは、晏嬰が残した「利に巾する。」という言葉です。人には管理できる利益には、一定の巾があり、それを超えて欲望を広げると破滅するという意味です。 精神的自由人は、嫌なことはしなくて良い、我慢しなくて良い、いつも笑って生活できる自由を目指すということです。この自由は、自分勝手な理論を展開するというのではありません。社会を構成する多くの人との調和の中で、自分という個の存在を確立し、他の人からその伸張を妨げられないようにするということです。ですから、最低限の我慢や、悲しみは、当然あります。そしてこれを実現するためには、徳川家康が言い残した「不足を常と思う」ことだと考えています。もっと完全に、もっと完全にと自由人を追求すれば、不可能なことを追及するのですから、達成することはありません。その結果、その努力に疲れて、精神的に参ってしまうでしょう。これでは、精神的自由を手に入れることはできません。精神的自由は、不足を常と思えるようになったときに、手に入るのだと考えています。

  私は、この二点を実現するために、色々なことを学び、実践してきました。その中で、最終的に残ったのが、私にとっては、株式投資であり、古典であり、子育てであったりした訳です。これは、自由人を実現する方法は、人によってはかなり異なると思います。株式投資など目もくれない人もいるでしょう。古典を見ると蕁麻疹が起こるという人もいるでしょう。子供はうるさくて嫌いという人もいるでしょう。それは、人それぞれですから、それで良い訳です。ただ、これから自由人を目指そうという人に、これらによって自由人を目指しているという者がいるということを参考にして頂ければ幸いと考えています。


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