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馬の錬金術師
☆☆馬の錬金術師の誕生から、その最後まで☆☆



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錬金術師の子供時代
 暮れの京都競馬場に一人の少年がいた。
少年と呼ぶには幼すぎる年齢なのだが、ここでは敢えて少年と呼ぶ。
少年は父親が好きだった。
父親と行く、京都競馬場が楽しみだった。
少年の家は、決して裕福とは言えない状況だったので、父親は、少年が起きる前に出勤し、少年が寝た後に帰宅するという日々だった。
しかし、たまの日曜日には、少年を連れて、京都競馬場にやって来た。
少年が京都競馬場を楽しみにつていたのは、場内にある遊び場が目当てではなかった。
少年が楽しみにしていたもの、それは、場内一面に落ちている、赤、黄、緑の線が入った紙くずを拾うことだった。
少年は、父親が、その紙くずを渡して、おかねを手にするところをしっかり見ていた。
 「あの紙切れを渡せば、おかねが手に入るんだな。」
と少年は理解した。
その日以来、少年の紙くず集めが始まった。
父親には見つからないように、一枚、一枚拾い集め、ポケットに入れていた。
家に帰ってからは、その日集めた紙くずを、色違いの束にして、そっと本棚の後ろに隠していた。

 ある日のこと、少年は、いつも通り父親に連れられて、京都競馬場に向かった。
この日、少年は、一大決心をしていた。
これまで拾い集めた紙くずをお金に換えようと・・・。
少年の脳裏には、父親と母親のよろこぶ顔が浮かんだ。
途中の車内で、少年は、待ちきれなくなり、紙くずの束を父親に見せた。
父親は、けげんそうな顔をして少年に言った。
 「こんな束、どうすんねや。」
 「あのな、これをおばちゃんに渡してな、おかねに変えてもらうねん。」
 「アホ、こんなもん外れ馬券やないけ、おかねに変わる訳ないやろ。」
 「えっ、でも、前にお父ちゃん、変えてたやん。」
 「あれは当たり馬券や。ええか、ここに数字が入っているやろ。この数字が当たらんと変えてくれんのや。」
 「えっ、そうなん・・・・。」
この日以来、少年は、馬券を拾うのを止めた。


錬金術師のごひいき
 少年には、ひいきの馬がいた。
その馬は、タケホープと呼ばれていた。
怪物ハイセイコーのライバルで、ハイセイコー相手に、ダービーと菊花賞をもぎ取った名馬だった。
しかし、世間は負けてもハイセイコー一色で、タケホープの人気は出なかった。
少年は、そんなタケホープがかわいそうで、自分くらいは応援してあげなければと思った。
ある日、競馬新聞を見ていた父親に、少年は聞いた。
 「お父ちゃん、タケホープ出てる?」
 「出とらん。」
 「このレースは??」
 「出とらん。」
 「こっちのレースは??」
 「出とらん。」
 「じゃぁ、こっち・・・・、」
 「タケホープはダービー馬や、こんな未勝利レースに出る訳ないやろ!!」

少年は、レースに種類があることを知らなかった。


続・錬金術師のごひいき
 少年が小学生の高学年になった頃、競馬界では、TTGが話題になっていた。
天馬トウショウボーイ、貴公子テンポイント、それと少年の愛するグリーングラスである。
少年は、トウショウボーイ、テンポイントが争った菊花賞を、父と一緒に見に行っていた。
二頭の争いを、スーッと内から交わして行った一頭の馬に惚れ込んだ。
その馬がグリーングラスだった。
しかし、TTGと言われながらも、彼の人気は、他の二頭に大きく引き離されていた。
 「テンポイントは一つも獲ってないのに・・・。なんでや、グリーングラスは菊花賞馬やで。」
少年は、更に、彼に入れ込むようになった。
しかし、それからの彼は、いつも、この2人の前には立てなかった。
3人が出場した翌年の宝塚記念、有馬記念は、共に二人に続く3着であったが、はるか後方で後塵を拝した。
少年は、来年こそグリーングラスが勝つと行き込んだが、この有馬記念でトウショウボーイは引退、そして、あろうことか翌年の日経新春杯で66.5kgを背負わされたテンポイントは骨折、共にターフを去った。
少年の心には、虚無感に溢れた。

 この頃の少年は、少年野球のチームに所属していた。
その友達の間では、テンポイントが話題となった。
校庭を走るとき、必ず先頭を走っている友達が最後のコーナーで、
「おっと、テンポイント足を挫いた、骨折、骨折!!」
と言いながら、先頭から最後方まで下がっていくという遊びが流行った。
しかし、少年は、その遊びには参加しなかった。
「テンポイントはまだ死んどらん。必ずターフに戻ってくるんや。」
しかし、少年の希望は、永久に実現されることが無かった。


錬金術師の初勝負
 少年は、高校生になった。
相変わらずの競馬好きを知っていた父親は、少年に声をかけた。
 「どうだ、お前も馬券をかってみるか??」
 「うん、買う。」
ちょうど春の天皇賞のときだった。
スダホークとサクラユタカオーが人気を二分し、枠連が2.5倍と一本被りとなっている年だった。
少年は、迷わずスダホークとサクラユタカオーの組み合わせに、小遣い全額の5,000円を父親に頼んだ。
 「こんな一本被り、来んぞ。」
父親は少年に言ったが、少年は父親の言葉を無視した。
父親は、それ以上何も言わず、少年が希望した馬券を買ってきてくれた。

 ファンファーレが鳴り、少年の心臓も、徐々に高鳴り始めた。
少年は、手にしていたF−G5,000円と書かれた馬券を、スーッと、目の前に置いた。
レースが終われば、12,500円が手に入ると、少年は考えた。
枠入りは順調に進み、ゲートが開いた。
大きく出遅れた馬はいなかった。
春の天皇賞は、京都競馬場で行われる。
距離は3200m、JRA最長のGTレースであり、3分20秒超かかる。
長距離レースらしく、前半はゆったりした流れだった。
少年は、サクラユタカオー、スダホークの位置を確かめた。
 「よし、絶好の位置だ。」
少年は、内心ほくそ笑んだ。
1周目が淡々と過ぎ、2周目に入った。
各馬の動きは無かった。
「よし、よし。これで、3コーナーの坂を下ったところからまくれば。」
少年は、直ぐ先の未来の映像を、脳裏に思い浮かべた。
ところが、現実は、少年の思い通りにはならなかった。
坂を下っても、サクラユタカオー、スダホークの二頭は上がって来ない。
それどころか、先頭からはるか後方で、喘いでいる2頭の姿があった。
 「なんで・・・・。」
少年の頭は、真っ白になった。
ゴール板を最初に通過したのはクシロキングで、二着はメジロトーマスだった。
少年は、呆然とテレビを見ていた。
一緒に見ていた父親は、
 「だから来んと言ったやろ。スダホークはここ一番弱いし、サクラユタカオーは中距離馬や、この距離は長いは。」
そして、父親は、少年に@−A1,000円と書かれた当たり馬券を見せた。
少年は、その馬券を見た後に、父親を始めて心から尊敬した。


錬金術師を目指す
 天皇賞に敗れて以降、少年は、取り憑かれたように勉強をした。
毎日、毎日、学校から帰ってきては、机に向かった。
少年の母親は、やっと息子が真面目に勉強するようになったと喜んだ。
しかし、当然、少年がやっていたのは、競馬の勉強である。
まず、少年がしたのは、スダホークとサクラユタカオーが敗れた原因を追究することだった。

 スダホーク、父シーホーク、母父ファーザーズイメージ、ダービー2着、菊花賞2着、有馬記念4着。
 確かに、父親が言ったとおり、ここ一番のレースでは、一歩足りない成績だった。

 サクラユタカオー、父テスコボーイ、母父ネヴァービート、菊花賞4着。
 少年には、どうしてサクラユタカオーが中距離馬なのかわからなかった。
そこで、父親に聞いた。
 「サクラユタカオーにはな、サクラシンゲキっちゅう兄馬がおるんや。この馬がな、2,000m超えるレースでは用無しやったんや。」
少年は納得した。

更に少年は、勝ち馬についても調べた。

 クシロキング、父ダイアトム、母父テスコボーイ、皐月賞13着。
 どうしてこの馬が優勝したのか、少年にはわからなかった。
そこで、また、父親に聞いた。
 「クシロキングも中距離馬やけど、父親がダイアトムやろう。ダイアトムっちゅうたらダート馬を多く出している馬や。天皇賞は道悪やったやろ。だから、こういうときは押さえとかなあかんのや。」
少年は、馬場状態のことなど、殆ど考えていなかった。

メジロトーマス、父フィディオン、母父バウンティアス、GT出走なし。
 この馬も、少年にはわからなかった。
そこで、三度、父親に聞いた。
 「天皇賞やぞ。メジロの馬買わなどうすんねん。メジロはな、天皇賞を目標に馬育ててるんやぞ。それに、父親のフィディオンちゅうたら、長距離馬やぞ。」
少年は、父親の説明、一つ、一つに納得した。
 以来、少年は、競馬四季報を購入し、ノートに馬の血統とその特徴を書き込んでいった。
更に、重賞馬は、その馬が勝つときのパターンが無いかどうかを調べていった。


続々・錬金術師のごひいき
 天皇賞に敗れた翌年、少年は、二頭の名馬と出会った。
一頭の名はサクラスターオー、父サクラショウリ、母父インターメゾ。
もう一頭の名はゴールドシチー、父ヴァイスリーガル、母父テスコボーイ。
 サクラスターオーは、その名前に惹かれた。
スターオーという響きが少年の心を惹き付けた。
更に父がダービー馬で、母父がグリーングラスの父と同じ。
サクラの純正ブランドというところも気に入った。
 ゴールドシチーは、始めてパドックで見たときに、その金髪の美しさに惹かれた。
「こんな綺麗な馬、おるんやな。」
と少年は、そのタテガミの輝きに見とれた。

 この二頭が、始めて同じレースで走ったのが、1987年の第47回皐月賞だった。
1番人気は、皇帝ルドルフの再来と言われた、シンボリの期待の星マティリアル。
海外遠征を見越して、馬名にはシンボリの名を入れなかったといういわく付きの馬だった。
対する2番人気は、前走で弥生賞を制していたサクラスターオー。
3番人気は、共同通信杯を制し、弥生賞で3着していたマイネルダビデ。
ゴールドシチーは、阪神3歳Sを制していたにも関わらず、前走のスプリングSでマティリアルの6着に敗れていたので、9番人気という低評価だった。
少年は、迷わず、サクラスターオー、ゴールドシチーのB−G1,000円の馬券を父親に頼んだ。
マティリアルの脚質は追込みなのに、20頭立ての最内1番枠では届かん、というのが彼の予想だった。
ゴールドシチーは、一叩きされて今日が本番だろうと考えた。
レースは、呆気なかった。
4コーナーを回ったところから、サクラスターオーが一頭抜け出して独断場だった。
2着争いは、先に抜け出したゴールドシチーに、マティリアルが外から襲い掛かる展開となったが、時、既に遅し。
ゴールドシチーは、頭差しのぎきった。
少年は、5万円を超える大金を手に入れたのである。
少年は、クラッシックは、この2頭を買い続けようと考えた。
しかし、ダービーに、サクラスターオーの姿は無かった。
皐月賞後、繋靭帯炎を発症していたのだった。


錬金術師の悲しみ
その年の菊花賞。
彼は、復活した。
彼とは、当然、サクラスターオーである。
皐月賞以来6ヶ月振りという逆境の中でレースに臨んだ。
ほとんど、まともな調教ができなかったらしく、9番人気の低評価だった。
ゴールドシチーは、神戸新聞杯、京都新聞杯を叩かれ、2番人気に押されていた。
一番人気は、彼がいないダービーを制したメリーナイス。
3番人気は、岡部騎乗のウイルドラゴンだった。
少年は、迷わず、彼とゴールドシチーの組み合わせである@−D5,000円を父親に頼んだ。
そして、D−D1,000円も一緒に頼んだ。
彼と同じD枠に入ったのは、京都新聞杯を制し、新進気鋭の武豊を鞍上に迎えたレオテンザンと、ダービー2着馬サニースワローだった。
少年は、レオテンザンにちょっとした浮気心を抱いたのだった。
レースはあっさりとサクラスターオーが差し切った。
少年が浮気心を抱いたレオテンザンは、4コーナー回ったところまでは先頭に立っていたが、そこから喘ぐように下がり、代わってゴールドシチーが2着に入ったのだった。
少年は、また、7万円を超える大金を手に入れた。

 そして運命の有馬記念である。
菊花賞で復活した彼は、新馬戦以来の1番人気に支持された。
少年は、テレビに映し出されるパドックを見て、サクラスターオーの勝利を確信した。
少年は、迷わず相方のゴールドシチーとの組み合わせを買いたかったが、このレースには相方は参加していなかった。
仕方なく、少年は、彼の相手に、前年の有馬記念馬であるダイナガリバーを指名した。
ファンファーレが鳴り、真っ先に気性が悪いダイナガリバーが枠に誘導された。
それを見た少年は、思った。
 「こりゃ、ダメだ。」
 少年は、ダイナガリバーが枠入りするとき、大人しく入るときは走らないということを知っていた。
暴れれば、暴れるほど激走することを知っていた。
ところが、この日のダイナガリバーは、大人しく枠に誘導された。
少年の期待は、サクラスターオーのみに注がれた。
ゲートが開いた。
何と、スタート直後にダービー馬メリーナイスがまさかの落馬。
逃げ馬レジェンドテイオーが、他馬を引っ張る形でレースが進んだ。
そしてあの、第3コーナー。
 「行け!!スターオー!!」
少年は心の中で叫んだ瞬間、彼は大きく下がっていった。
少年の目には、脚をブラブラにさせている彼の姿があった。
少年は、その姿を見て、ただ呆然とした。
彼の悲鳴が、少年の心を切り裂いたようだった。
 「左前ケイジン帯断烈並びに第一指関節脱臼」
これが、彼がみまわれたケガの内容だった。
調教師の平井雄二氏が、主戦だった東信二騎手の言葉をこう言っている。
 「レース後、信二が言ってましたよ。"馬場がデコボコなのはわかっていました。でも、勝つためには流れからいってあそこを通らざるをえなかったんです"と。でも、信二は今でもときどきこぼしているんですよ。"どうしてあそこを通ったんだろうか"ってね。自分の責任のように感じているんでしょう。」
予後不良、これが彼に出された診断結果だった。
薬殺処分が相当の大怪我だった。
しかし、彼は、生きるチャンスを与えられた。
患部にスチールプレートを埋め込む大手術が施された。
しかし、彼の脚は一向に良くならなかった。
それどころか、日を追うごとに彼は衰弱して行った。
そして、有馬記念から138日目。
これ以上、彼を苦しませないでおこうと、安楽死の処置が取られた。
少年は、彼が無くなったのを、スポーツ新聞で知った。
少年からは、何も言葉は無かった。


錬金術師の誕生
 少年は、大学生となり、青年となった。
そこで、今回から、青年と呼ぶことにする。
青年は、競馬がしたい一心で、競馬場の近くにある大学を選んだ。
青年の家は、相変わらず裕福では無かったので、当然、私学などには行けなかった。
運良く青年は、国立大学に入学することができたが、進学と共に一人暮らしを始めても、やはり何一つ、電気製品は買えなかった。
大学に入学して直ぐに、父親が訪ねてきた。
何一つ無いアパートの部屋を見渡して、
 「何も無いな。」
と父親は言った。
 「明日は日曜日や。久々に一緒に競馬に行こか!?」
青年は、始めて父親と二人だけで、一晩を過ごした。
夕食は、青年が、自分で食事を作った。
 「この飯まずいな。炊飯器ぐらい買えよ。」
父親は笑いながら言った。
 「洗濯機が無いけど、どうしてるんや。」
 「うん、風呂であろとるからいらん。」
 「そうか・・・・。」

翌日、青年は父親と競馬場に行った。
その日は、第48回皐月賞がある日だった。
前年の皐月賞馬は、サクラスターオーだった。
この年の出走馬の中には、前評判の高かったサッカーボーイが球節炎で出走を回避していたこともあって、青年を奮い立たせる程の馬はいなかった。
青年の心の中には、まだ、彼が一番の座に座り続けていたのだった。

 青年は、彼と同じく弥生賞を勝ち、同じ馬主で2番人気のサクラチヨノオーを選んだ。
そして相手は、あのトウショウボーイの甥で3番人気のトウショウマリオにした。
@−B1点を、1,000円だけ買った。
ファンファーレが鳴り、ゲートが開くと、2頭の馬が斜行して、1番人気馬モガミナインの進路を妨害し、モガミナインが内枠に激突するという事件が起きた。
波乱の幕開けであった。
レースは逃げ馬が引っ張り、予想外に速い流れとなった。
青年が選んだチヨノオーは先行して3番手を進んでいたが、直線に入ると、後方がまくって来た2頭に、抵抗すること無く交わされた。
まくって来た2頭は、同枠の9番人気馬ヤエノムテキと、G枠16番人気馬のディクターランドだった。
青年が相手に選んだトウショウマリオの姿は、どこにも無かった。
大荒れに荒れたレースだった。
青年が、溜息混じりに、
 「こんなもんか。」
と思っていると、ニヤニヤしながら父親が言った。
 「これで、炊飯器と洗濯機を買え。」
そして、馬券を青年に手渡した。
@−G2,000円と書かれている当たり馬券だった。
 「親父、良くこんな馬買えたな。」
 「良く新聞見ろ。ヤエノムテキは新馬から2連勝した馬やぞ。前走の毎日杯で4着やからって見限ったらアカン。こんな中心になる馬がおらへんときは、よう来るんや。」
 「ほんまや。」
 「ディクターランドかて、3歳(現2歳)函館Sの勝ち馬や。長期休養開けの2戦目は押さえなアカンやろ。それに、この人、覚えとけや、この人が一人で印を打っているときは、気ィつけなアカンで。」
 「わかった。気ィつけるわ。」

青年は、父親がくれた馬券で、電気屋で一番安い炊飯器と洗濯機を買った。
そして残ったお金は、三ヶ月間バイトをして貯めたお金と合わせて、パソコンとビデオ2台を買った。
ここに、馬の錬金術師が誕生したのである。


錬金術師の試行錯誤
 青年が進学した地方では、土日の昼になると、テレビで競馬中継を放送していた。
更に、深夜には、レースのみのダイジェスト版を放送していた。
青年は、土日になると競馬場に出掛け、一日中パドックで馬を見ていた。
馬券を買わずに、ただ、じーっと見ていた。
家では、ビデオが、テレビで放送される全レースを忙しく録画していた。

青年の新しい1週間は、日曜日の最終レースが終わった5時からがスタートだった。
青年は、最終レースが終わると、歩いて10分程度の場所にあった自分のアパートに帰った。
そこからおもむろに、録画されているテープの編集作業に、青年は取り掛かっていたのだった。
当然、編集は、土曜日の1Rからだった。
録画された番組のパドック、馬場入り、レースのみを集めて、新しいテープに保存していった。
編集すると、1R当たり15分程度の時間になるのだが、当時はDVDが無かったので、1R当たり1時間程度かけて、青年は編集していた。
毎週、日曜日の夜には、土曜日の10Rまで編集すると青年は決めていた。
午前中のレースは、パドックと馬場入りの放送が無いため、13時40分から放送するレースレビューで、まとめて編集することができた。
6R以降は、2台のビデオを駆使して、編集していった。

 月曜日は、日曜日の続きである土曜日の11R以降と、日曜日の全レースの編集をした。
そして、時間が余れば、出来立てのビデオを何度も見直し、レースの細部にわたるまで、記憶するのが常だった。

 火曜日は、土日曜日の全レースの全出走馬の成績を、パソコンに入力する日だった。
青年のパソコンには、関西の競馬場に出走した全競走馬のデータが記録されており、レース、位置取り、馬場状態、枠数、騎手、着順等基本的なデータと、青年独自に観察していたデータが入力されていたのだった。
青年は、多いときには、400頭以上のデータを一日で入力していた。

 水曜日は、パソコンに入力されたデータのチェックをする日だった。
パソコンに入力されたデータは、全て数値に換算されて、レースの予想ができるようにプログラムされていた。
ところが、この予想は、尽く外れた。
青年は、その的中率を増すために、レース結果を踏まえて、シミュレーションし直すということを行っていた。
この作業は、青年に、時を忘れた。
気がつけば、木曜日の朝ということも、珍しくは無かった。

 木曜日は、青年にとっては、唯一フリーの日だった。
競馬関係の作業を入れていない、自由な日だった。
当初は、大学に行ったり、友人と遊んだりする日と考えていたが、データが蓄積されるに連れて、プログラムの改変やデータ修正に追われる日となった。

 金曜日は、土曜日の枠順が発表される日だった。
昼前、青年は、ひいきの競馬新聞を買いに、コンビニまで出掛けた。
帰宅すると、まず青年は、出走馬と枠順をパソコンに入力した。
そして、新聞の厩舎コメント欄をチェックした。
その中で、馬の調子に関するものだけをピックアップし、厩舎関係者の目から見た馬の好不調を判断し、不調と書かれた馬は、その場で消した。
更に調教タイムを確認し、ハードすぎるもの、ソフトすぎるものをピックアップし、過去の調教データと比較して、調教量に問題がある馬も、その場で消した。
青年は、この作業をいかに効率的にするかだけを考えて、パソコンを購入したのだった。
更に、過去の枠順や競馬場、コース、距離で明確に問題のある馬は消し、戦績が少ない場合は、血統から特性により馬を消していった。

 そして、土曜日と日曜日。
青年は、データを持って競馬場に行き、朝からパドックに座って、馬を一頭一頭ながめていた。
周回する馬達を凝視し、青年は、二年間、馬券を買わなかった。
この間、青年は、データ収集と予想のトレーニングのためと考えていたのだった。


錬金術師のデビュー

第50回桜花賞
 二年後の桜花賞。
青年は、大学の三回生になっていた。
この間、青年は、馬券を買わずに、レースだけを見ていた。
ただ、ただ、毎週、レースだけを見ていた。
青年は、馬券を買うと、どうしても私情が入るので、敢えて買わなかった。
ところが、この頃から青年は、自分自身で納得できる予想が立てられるようになった。
そして、青年は、終に、馬券を買うことにしたのである。
それなりに、自分の予想に自信が持てるようになっていたのだった。
そして、青年が、馬券を買うことを決めた最初のレースは、この桜花賞だった。

 この年の桜花賞は、1番人気がチューリップ賞の覇者であり、オークス馬アグネスレディーを母にもつアグネスフローラだった。
父がボールドルーラー系のロイヤルスキーで、母子2代のオークス制覇の夢を新聞各紙は報じていた。
その前哨戦の負けられない一戦として、桜花賞は位置付けられていた。
2番人気は、フラワーCの勝馬ユキノサンライズ
3番人気はチューリップ賞2着のケリーバック
4番人気はアグネスフローラが勝ったエルフィンSの2着馬コニーストン
5番人気は4歳牝馬特別の勝馬エイシンサニーだった。

 青年は、まず、2番人気のユキノサンライズを消した。
桜花賞までの成績は、4戦3勝2着1回と申し分の無い成績だったが、過去連対歴の無いフラワーC組からの挑戦であり、底力という意味では信用できないホリスキー産駒だったことも考慮して消したのだった。
 次に4番人気コニーストンも、エルフィンSでは2着ながらも、前走チューリップ賞では6着と大負けしており、更にこちらも底力の無いプルラリズム産駒ということで消したのだった。
 更に、5番人気のエイシンサニーも、1400mの4歳牝馬特別を制してはいるが、元来はミルジョージ産駒ということで、中距離向きの血統であることから、一線級相手のマイルは難しいと判断したのだった。
 青年が、上位人気で選んだのは、1番人気のアグネスフローラと、3番人気のケリーバックだった。
この1本を青年が選んでいれば、青年の予想はピタリ的中になるはずだった。
ところが青年は、それをしなかった。
と言うのも、アグネスフローラの父馬がロイヤルスキーだったからである。
ロイヤルスキーの父馬ボールドルーラーの系統は、何故か単調な馬が多く、ここ一番には弱いイメージが青年にはあった。
更に、アグネスフローラの人気が一本被りであったことも、青年を躊躇させることとなった。
 「こんな一本被りの馬、来ん(こない)!!」
 と青年は思い切り、ケリーバックの相手をこの4頭以外から探したのだった。
そして、青年の目に止まったのが、ケリーバックと同じ2枠のハリケンローズだった。
狂気の血と言われるノーザリー産駒で、気性難さえ無ければ、勝って不思議の無い馬だった。
そこで青年は、ケリーバックとこのハリケンローズの枠連2−2だけを買って、勝負に出たのだった。
このハリケンローズ、実は400万下のそれも抽選馬レースの勝ち馬でしか無かったことから、全18頭中の14番人気という低評価だった。
枠連も当然万馬券で、青年にとっては、非常に美味しい馬券だった。
1番人気を蹴って14番人気を買うのは、正気の沙汰とは思えないが、青年には勝つ目算があった。
それは、桜花賞当日の天気が悪いことだった。
青年は、馬場は不良と予想していた。
普通の芝でのレースではない。
よりパワーが要るレースになると考えていたのだった。
だからこそ、ダートでも実績のある父馬の産駒2頭を選んだのだった。
(ちなみに、アグネスフローラの父ロイヤルスキー産駒が、ダートの鬼というのは、この後判明)

 桜花賞の当日、朝から雨だった。
青年の予想通り馬場は重となり、かなり力が要る展開が予想された。
青年は、午前中に馬券を買っていたので、競馬場ではなく、アパートで競馬を見ていた。
スターターが台に上がり、桜花賞のスタートのファンファーレが鳴り出した。
と同時に、青年の心臓も、高鳴り始めた。
青年は、枠連2−2を10,000円分、一点買いしていたのだった。
ファンファーレが鳴り止み、一斉にゲートが開いた。
2枠の2頭は、共に好スタートだった。
青年は、小さくガッツポーズをした。
雨天でのレースは、先行した馬が有利である。
それは、後方の馬や騎手は、どうしても前馬のドロを被って走らなければならないことになるからである。
特に、経験の浅い若馬では、それで走る気を無くしてしまうものもいるくらいである。
青年が持っていた唯一の懸念は、ハリケンローズが出遅れることだった。
それが回避されたので、青年は、勝利に一歩近づいたと思ったのだった。
レースは淡々と進んだ。
先行した2枠2頭はかかることもなく、折り合っていた。
3コーナーを回ったとき、2頭は仲良く並んで、馬群から抜け出てきた。
一歩、一歩走る度に、馬群は引き離されていった。
 「そのまま!!」
 青年は、一人しかいないアパートの部屋で叫んだ。
 「このままいけば取れる!!」
 と青年が妄想を抱き始めた瞬間、そこに、一頭、猛烈な勢いで、大外から猛追して来る馬が居た。
それがアグネスフローラだった。
重馬場を意に介する様子も無く、ドロを巻き上げて、重戦車のように、2頭を猛追してきた。
 「あっ、アカン!!」
 青年の心の中で、悲痛な叫び声がした瞬間、アグネスフローラは、あっさりと2頭を交わし、先頭でゴールしたのだった。
アグネスフローラが先頭で駆け抜けたゴール板を、1馬身1/4差でケリーバックが、更に1馬身1/4差でハリケンローズ駆け抜けた。
そして、そこから更に6馬身遅れて、4着のエイシンサニーが来たのだった。
青年の予想は完璧だった。
アグネスフローラが重馬場の鬼だったことを除いて・・・・。


錬金術師の決意!!

 青年が、待ちに待っていた皐月賞がやってきた。
青年は、二年前に青年の父親がくれた当たり馬券の感動を、今度は父親に返したいと密かに考えていた。
青年は、前週の桜花賞を逃したものの、落胆はしていなかった。
青年は、10回中1回取れれば良いと考えていたので、今回こそ頑張ろうと心に決めていた。

 この年の皐月賞は、後にダービーを勝ち中野コールを沸かせたアイネスフウジンが一番人気だった。
朝日杯3歳ステークスを勝ったシーホーク産駒のステイヤー血統の名馬だった。

 そして、弥生賞の覇者メジロの期待馬メジロライアンが二番人気だった。
社台の命馬ノーザンテーストの代表産駒である天皇賞馬アンバーシャダイを父に持つ良血だった。
ちなみに、この年のメジロは、稀に見る豊作の年で、後の名馬を多数輩出していた。
後にメジロの黄金期と呼ばれ、その代表馬は、このメジロライアンと、後の菊花賞馬メジロマックイーン、有馬記念馬メジロパーマーであった。
特に、メジロライアンメジロマックイーンは、メジロルイスと共に、牧場の頃から期待されていた。
実はこの年の一番星は、メジロルイスだったということを、青年は後に知った。
メジロルイスは父リアルシャダイ、母シェリルということで、メジロマックイーンの父メジロティターンの弟になる馬であった。
しかし、メジロルイスは、蹄が弱く、満足な調教ができず、1勝しかできなかった。
青年は、そこに競馬の奥の深さを感じたのだった。

 話を元に戻そう。3番人気はきさらぎ賞の勝馬であり怪物ハイセイコー産駒だったハクタイセイ、4番人気は青年が愛するグリーングラス産駒のツルマルミマタオーは弥生賞2着、5番人気にはスプリングSの勝者サウスアトランティック産駒のアズマイーストが続いた。

 青年は、当然、愛するグリーングラス産駒のツルマルミマタオーを中心にしようと考えた。
ところが、青年の目は、ツルマルミマタオー以外の一頭に止まった。
それが、阪神3歳Sを7番人気で制したコガネタイフウだった。
コガネタイフウは、後にミホノブルボンを輩出して一躍有名になったマグニテュード産駒で、前走のペガサスSでの落馬が嫌われたのか、このときは12番人気という低評価だった。
元々、青年は、コガネタイフウの全兄コガネターボがご贔屓だった。
まだ、青年が馬券を買わずにパドックにいたとき、隣に座っている友人から推奨馬を聞かれて、13番人気だったコガネターボを推奨したのだった。
青年の友人は、青年の意見を聞いて、本命のホリノライデンからコガネターボへの馬券を買ったのだった。
そして、青年の友人は、見事に当たり馬券を手にし、青年に感謝したのだった。
そのことを思い出して、青年は評価が下がっているコガネタイフウから勝負することにしたのだった。
兄のコガネターボも、5歳から中央入りして活躍したのだから、コガネタイフウの実力も、まだ枯れていないはずと考えたのだった。

 さて、青年が、コガネタイフウの相手に考えたのは、3番人気のハクタイセイだった。
同じハクタイセイ産駒のケリーバックが桜花賞で2着したことから、今年はハイセイコーの当たり年と青年は考えていたのだった。
更に、一番人気のアイネスフウジンは逃げのステイヤー血統ということで、展開に左右されるところが大きいために、青年は消した。
また、二番人気のメジロライアンは、鞍上の横山典では勝てないだろうと考えて消した。(横山典は、今でこそ名騎手だが、当時はデビュー仕立てでヘタだった。)
青年は、コガネタイフウから、ハクタイセイを本線に、ツルマルミマタオーを抑えにして、2点勝負に出たのだった。

 しかし、青年の予想は、またもや外れたのだった。
ハクタイセイが優勝したものの、コガネタイフウは4着だった。
2、3着は、アイネスフウジンメジロライアンだった。
青年としては、アイネスフウジンメジロライアンの実力を見誤ったのが、無性に腹が立った。
自分自身に腹が立った。
そこで、青年は、以後、贔屓馬を作らないことを決めたのだった。


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