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中学生の投資学
☆☆これから社会に出る子供たちのための投資講座☆☆



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第18回 おかねの歴史A

 日本で紙幣が使用されたのは、江戸時代の藩札が最初だと思います。(間違っていたらゴメンなさい。)
どうして藩札が作られたのか。
それは、藩が保有する貴金属が無くなったからです。

 元々、日本では、金、銀、銅が通貨として使用されてきました。
そして、江戸時代になると、貴金属の鉱山は、全て幕府の直轄地となり、藩が所有するものが無くなり、藩は通貨を鋳造することができなくなりました。
また、幕府は、諸藩の経済力を弱めるために、色々な賦役を諸藩に命じます。
お金が底をついた諸藩は、商人からお金を借りて急場を凌ぎますが、それでもお金が足りません。
そこで、藩札なるものを作ったのです。
藩札は、紙切れに金額を書いたものですから、何の価値の裏付けもありません。
その価値は、藩が保証するということで、無理矢理流通させたのです。
そもそも、お金が潤沢にあれば、藩札などを発行する必要はありません。
無いから発行するのです。
そういう意味で、藩札の発行自体が、藩の信用力が無いということになるのです。
また、それこそ、藩が取り潰しになったら、何の価値も無くなるのです。
単なる紙切れです。
ですから、商人の間では、藩札は非常に嫌がられました。

 明治時代に入ると、新政府は旧幕府や藩の財政を引き継ぐ格好になったので、乱発された藩札の処理に手間取ります。
そこで、政府は、臨時的に政府自身で紙幣を発行したり、銀行毎に紙幣を発行させたりして、金融の安定化を図ろうとしましたが、失敗しました。
特に、銀行毎に紙幣を発行させたのは、誤りでした。
藩同様、銀行も倒産したら、その銀行が発行した紙幣が紙切れになるのですから、混乱するのは当たり前です。
そこで、明治18年、政府は、紙幣の発行は、「日本銀行」のみに認めるということにし、紙幣をいつでも金貨に交換できるという「金兌換制度」を採用します。
これが、「日本銀行券」の始まりです。
これと同時に、政府自身で発行していた紙幣や、色々な銀行が発行していた紙幣は回収されることになりました。
ちなみに、この当時の銀行は、数字で呼ばれていました。
第一銀行、第二銀行・・・・、十六銀行、十七銀行、十八銀行のようにです。
近年の金融再編で、銀行も名称が大きく変わりましたが、このような名前で残っている銀行もまだあると思います。

 この後、暫くは、金兌換制度による価値の裏付けにより、日本の通貨は安定的に使用されていきます
ところが、日本が軍国主義一色に染まり始めた昭和6年、自由な金貨への交換が停止され、昭和18年には、金兌換制度自体も中止されてしまいます。
戦争による物資の欠乏により、金が不足したことが原因です。
これ以降、日本の紙幣は、現実的には金の裏付けが無いものとなりますが、法律上では、昭和63年の通貨法の施行により、完全に裏付けが無くなってしまいました。

 それなら今の紙幣は、どういう根拠で流通しているのかと思われるでしょうが、これは、管理通貨制度と呼ばれるものになっています。
簡単に言えば、日本政府の保証で、紙幣が使われているということです。
紙幣を信用する前提には、日本政府を信用しなければならないということです。
果たして、あなたは、どこまで、日本政府を信用できるでしょうか。


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